恋人射殺、ピストリウス被告に禁錮6年 両足義足の走者
2016年7月6日 時事ニュースhttp://www.asahi.com/articles/ASJ7666VSJ76UHBI02D.html
殺人罪と過失致死罪との違いは、
人が死亡するという結果に対する故意があるかないかです。
それで1年しか刑期が違わないことに、
驚かれた方も少なくないでしょう。
もっとも、南アの刑務所がどのような所か知る由もありませんが、
刑務所に拘置される期間が1年違うというのは、
結構大きな違いとも言えます。
ただ、日本の刑法では、故意の有無によって刑が大きく異なってきます。
人の死亡について故意がある殺人罪に対しては、刑法第百九十九条で、
「死刑又は無期若(も)しくは五年以上の懲役」が定められています。
でも、過失致死罪に対しては、刑法第二百十条で、
「五十万円以下の罰金」しか定められていません。
業務上必要な注意を怠ったことや、
重大な過失によって人を死亡させた罪にも、
刑法第二百十一条で
「五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金」しか定められていません。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M40/M40HO045.html#1002000000026000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
もっとも、「過失」の意味は、南アの刑法と日本の刑法では違うのかもしれません。
と考えていたのですが、
南アでは過失致死に対して定められている刑が重いというのが、
実情でしょう。
この点については、できれば明後日(7月8日)、説明します。
(7月9日追記)
と思っていたのですが、昨日(7月8日)は疲れてしまって、
説明できませんでした。
今日説明します。
南アフリカ共和国で憲法と刑法を専門的に研究されている
(または、亡くなっているかもしれませんから、研究されていた)方に、
ダニエル・W・モルケル[Daniel w. Morkel]さんという方がいらっしゃいます。
そのモルケルさんが、
1997年7月11日に早稲田大学院法学研究科で行われた講演会で、
次のようなことを述べられました、
「イギリス法がわが国(ここでは南アのことです)の刑事法に強い影響を
与えたこと(中略)については、すでに述べた」。
しかし「イギリス法」が南アの「刑法の一般原則に与えた影響は、
それほど大きくなかった。たとえば、『違法性』や『正当化事情』、
『責任能力』『未必の故意』といった概念は、
イギリス法には存在しないのである。」(注1)
ということは、逆にいうと「未必の故意」という概念は、
南アの刑法には存在するのです。
「未必(みひつ)の故意」という概念は、日本の刑法でも認めらています。
つまり、「未必の故意とは、罪を犯す意志たる故意の一態様」でありまして、
「犯罪の実現自体は不確実ではあるものの、
自ら企図した犯罪が実現されるかもしれないことを認識しながら、
それを認容している場合」のことです。
少し分かりやすく説明しますと「未必の故意の具体例としては、
人を包丁で刺す際に、この行為により相手が死ぬかもしれないが
死んでも構わないと思っていた場合があげられ」ます。
https://www.bengo4.com/c_1009/d_645/
あるいは、オスカー・ピストリウス元被告には、
この「未必の故意による殺人罪」の成立が認められたのかもしれません。
というのは、「未必の故意」は、上の説明からもお分かりの通り、
非常に「弱い」故意であり、過失に限りなく近いのです。
過失に限りなく近い「未必の故意」が認められたのなら、
それに対する刑も6年の禁錮刑と、
過失致死での5年の禁錮刑と1年しか違わなかったことは、
十分に理解できる話です。
でも、ピストリウス元被告は、高裁段階で過失致死で有罪とされ、
5年の禁錮刑が言い渡されました。
ですから、南アでは過失致死罪に対して殺人罪と大きく違わない刑が
定められていると理解せざるを得ないのです。
(注1)ダニエル・W・モルケル(洲見光男・訳)「南アフリカ共和国の刑事法」
比較法学第32巻第1号379頁。
両足義足のランナーとして知られる
南アフリカのオスカー・ピストリウス被告(29)が恋人を射殺した事件で、
南アの高等裁判所は6日、殺人罪が確定しているピストリウス被告に対し、
禁錮6年の量刑判決を言い渡した。
高裁は14年、過失致死罪で禁錮5年の有罪判決を言い渡していたが、
検察側が殺人罪の適用を求めて上告。
最高裁が昨年12月、殺人罪での有罪を言い渡していた。
殺人罪と過失致死罪との違いは、
人が死亡するという結果に対する故意があるかないかです。
それで1年しか刑期が違わないことに、
驚かれた方も少なくないでしょう。
もっとも、南アの刑務所がどのような所か知る由もありませんが、
刑務所に拘置される期間が1年違うというのは、
結構大きな違いとも言えます。
ただ、日本の刑法では、故意の有無によって刑が大きく異なってきます。
人の死亡について故意がある殺人罪に対しては、刑法第百九十九条で、
「死刑又は無期若(も)しくは五年以上の懲役」が定められています。
でも、過失致死罪に対しては、刑法第二百十条で、
「五十万円以下の罰金」しか定められていません。
業務上必要な注意を怠ったことや、
重大な過失によって人を死亡させた罪にも、
刑法第二百十一条で
「五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金」しか定められていません。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/M40/M40HO045.html#1002000000026000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000000
もっとも、「過失」の意味は、南アの刑法と日本の刑法では違うのかもしれません。
と考えていたのですが、
南アでは過失致死に対して定められている刑が重いというのが、
実情でしょう。
この点については、できれば明後日(7月8日)、説明します。
(7月9日追記)
と思っていたのですが、昨日(7月8日)は疲れてしまって、
説明できませんでした。
今日説明します。
南アフリカ共和国で憲法と刑法を専門的に研究されている
(または、亡くなっているかもしれませんから、研究されていた)方に、
ダニエル・W・モルケル[Daniel w. Morkel]さんという方がいらっしゃいます。
そのモルケルさんが、
1997年7月11日に早稲田大学院法学研究科で行われた講演会で、
次のようなことを述べられました、
「イギリス法がわが国(ここでは南アのことです)の刑事法に強い影響を
与えたこと(中略)については、すでに述べた」。
しかし「イギリス法」が南アの「刑法の一般原則に与えた影響は、
それほど大きくなかった。たとえば、『違法性』や『正当化事情』、
『責任能力』『未必の故意』といった概念は、
イギリス法には存在しないのである。」(注1)
ということは、逆にいうと「未必の故意」という概念は、
南アの刑法には存在するのです。
「未必(みひつ)の故意」という概念は、日本の刑法でも認めらています。
つまり、「未必の故意とは、罪を犯す意志たる故意の一態様」でありまして、
「犯罪の実現自体は不確実ではあるものの、
自ら企図した犯罪が実現されるかもしれないことを認識しながら、
それを認容している場合」のことです。
少し分かりやすく説明しますと「未必の故意の具体例としては、
人を包丁で刺す際に、この行為により相手が死ぬかもしれないが
死んでも構わないと思っていた場合があげられ」ます。
https://www.bengo4.com/c_1009/d_645/
あるいは、オスカー・ピストリウス元被告には、
この「未必の故意による殺人罪」の成立が認められたのかもしれません。
というのは、「未必の故意」は、上の説明からもお分かりの通り、
非常に「弱い」故意であり、過失に限りなく近いのです。
過失に限りなく近い「未必の故意」が認められたのなら、
それに対する刑も6年の禁錮刑と、
過失致死での5年の禁錮刑と1年しか違わなかったことは、
十分に理解できる話です。
でも、ピストリウス元被告は、高裁段階で過失致死で有罪とされ、
5年の禁錮刑が言い渡されました。
ですから、南アでは過失致死罪に対して殺人罪と大きく違わない刑が
定められていると理解せざるを得ないのです。
(注1)ダニエル・W・モルケル(洲見光男・訳)「南アフリカ共和国の刑事法」
比較法学第32巻第1号379頁。
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