http://mainichi.jp/articles/20160110/ddm/002/010/098000c
そうですか。江田元参院議長も政界引退ですか。

江田五月参院議員(74)が
今夏の参院選岡山選挙区(改選数1)に出馬せず

参院議員の任期は6年です。
だとすると、江田氏が今度の参院選に出馬して当選したら、
任期満了する頃には81歳になります。
https://www.eda-jp.com/
70代後半でも参院議員としての職責は果たせる気もするのですが、
体調に自信がないのでしょうか。

それはともかく、江田氏は上にリンクを貼ったご本人のサイトにもあるように、
判事補つまり裁判官の経験があります。
このことも、江田氏が「法相や環境相などを歴任した」理由の一つでしょう。

また、江田氏は法相時代死刑を執行しませんでした。
これは、故・團藤重光博士がかって記されたように
「江田五月氏は従来から死刑廃止運動を推進して来た」(注1)ことと、
関連があると思われます。

江田氏は旧社会党書記長を務めた父三郎氏が、
離党して社会市民連合を結成直後に死去したことを受け、
1977年参院選に社市連から出馬し全国区で初当選した。

故・江田三郎氏は戦前、農民運動に参加したり、
治安維持法違反で懲役2年6月の実刑判決を受けたこともあります。
この事件は「人民戦線事件」と呼ばれていますが、
逮捕された人たちは全員、非共産党でした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%BA%E6%B0%91%E6%88%A6%E7%B7%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
また、江田三郎氏の名は、故・手塚治虫氏の『アドルフに告ぐ』の中で、
台詞として出てくるそうです。

江田三郎氏は、戦後は日本社会党に入党し、
浅沼稲次郎委員長が刺殺された直後は、
委員長代行を務めました。
ただ、江田三郎氏の構造改革路線は、
社会党の左派に反対され、やがて離党したのです。
(この「構造改革論」とは「日本社会の改革を積み重ねることによって
社会主義を実現しようとする穏健な考え方」のことです。)
でも、江田三郎氏に関するwikipediaでの解説には「除名された」とあります。
そして、私も江田三郎氏は「除名された」と理解していまして、
社会市民連合を立ち上げた直後に亡くなった時には「かわいそうに」と思いました。

その江田三郎氏の息子さんである五月氏も政界引退すると知って、
「時の流れは残酷なほど速いな」と思います。

(注1)團藤重光『死刑廃止論(第四版)』(有斐閣、1995年)85頁。

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