http://www.asahi.com/articles/ASH99675WH99UTIL041.html
青柳教授が論文式試験だけでなく、
マークシート方式の短答式試験でも
教え子の女性に問題を漏洩した疑いがあることが
関係者への取材で分かった。

司法試験でも、旧司法試験の時代から既に、
マークシート方式は用いられています。
司法試験は、
短答式(175点満点)と論文式(800点満点)の二つの試験があり、
短答式で一定の得点を超えると、
論文式の採点を受けることができる。

旧司法試験では、短答式と論文式は1か月半ぐらい間隔がありました。
そして短答式に合格した人だけ、
論文式を受けられたのです。

私は、1988年、89年、
そして90年と3回連続して旧司法試験の短答式を受けたのですが、
とにかく民法が苦手だったので落ちまくりました。

旧司法試験では、論文式を受かった人に対して、
口述式(こうじゅつしき)という試験もありました。
これは面接試験でして、
受験生が2人の司法試験委員による
口頭での質問に答えなければならなかったそうです。
例えば、1985年度の司法試験には、
刑事政策が選択科目としてあったのですが、
その刑事政策の口述試験で、
司法試験委員のお1人であった、
現・同志社大学総長の大谷實(おおや・みのる)さんは、
ある受験生に対して次のような質問から始められたそうです。
「今日は少年非行について伺おうと思うんですよ。
それで、少年非行といっても広いんでその現状、
その原因、その処遇ないし対策に分けて、
そのいずれか君の関心のあるものについて述べて下さい。」
(「口述試験合格への記録(3)
-昭和60年度司法試験合格者の具体的問答例」
   受験新報第36巻第10号(1986年)92頁)

関係者によると、青柳教授は5月の試験前、
教え子の20代女性に対し、
自らが担当した短答式試験の問題を見せて漏洩した疑いがある。
短答式試験のうち、憲法分野の配点は50点で、
女性の答案は50点満点だったという。
女性は短答式の最低ラインをクリアし、
論文式の採点に進んだ。

これは不自然です。
たぶん女性は短答式で、他の科目での出来が悪かったのでしょう。

ちなみに私は、憲法は好きで得意でもあったのですが、
旧司法試験の短答式で満点は取れていないと思います。

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