ということは、トルコでは91年もの間、
キリスト教会の新設が認められていなかったのですね。
トルコはイスラム諸国の中では一番自由だと思っていただけに、意外でした。
しかし、トルコは親日的ですので、名誉回復のために言いますと、
トルコには「ギリシャ正教徒,アルメニア正教徒,ユダヤ教徒等。」がいますので、
一定限度の信教の自由は認めているのです。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/turkey/data.html#section1

また、参考にした毎日新聞の記事にも
「トルコにはギリシャ正教やカトリックなどの教会があり、
修理や改築は認められてきたが、
新設が認められた例はなかったという。」とあります。

そして「トルコは、民主的・世俗的な政治システム、活力に溢れた経済、
そして近代性と自らの文化的な要素とを調和させてきた伝統により、
近隣地域とその周縁に和平と安定を生み出す外交政策を遂行してきました。」
http://tokyo.be.mfa.gov.tr/Default.aspx
あるいは、この世俗主義つまり政教分離を重視するあまりに、
キリスト教会の新設は認められなかったのかもしれません。
このように推測するのは、次のような歴史的事情のためです。
1980年の二度目のクーデター以降、
特にイスラム派政党の勢力伸張に対して、
軍は「ケマリズム」あるいは「アタテュルク主義」と呼ばれるアタテュルクの敷いた
西欧化路線の護持を望む世俗主義派の擁護者としての性格を
前面に打ち出している。軍は1997年にイスラム派の福祉党主導の連立政権を
崩壊に追い込み、2007年には公正発展党による同党副党首の
大統領選擁立に対して懸念を表明したが、
この政治介入により国際的な非難を浴びた。


つまり、 トルコでは政教分離原則を維持するために軍が政治に介入してきたのです。
これではトルコ政府がキリスト教会の新設を認められなくても、
そう大きな声では非難できません。
そう考えると、キリスト教会の新設を認めたのは、
非常に勇気が必要な決断であったと言うこともできます。

(ちなみに「ケマリズム」とは、トルコ共和国建国の父、
ムスタファ・ケマル、尊称はケマル・アタチュルクの主義を指します。
そして「アタチュルク」とは「父なるトルコ人」という意味です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%BF%E3%83%86%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%AF)

もっとも、このような歴史的決断の裏には、
以下に引用するような事情もあります。
トルコは「欧州連合(EU)への加盟交渉を進めており、
少数派の権利拡大に取り組む姿勢を強調する狙いがあるとみられる。」

つまり、少数派の権利を保障しないと、EUに加入できないのです。
こう書くと「EU諸国 だってひどい民族差別している癖に、
偽善的だ」と言われる方々がいるでしょう。
しかし、少なくともドイツとイギリスではヘイトスピーチを処罰しています。
http://www.h7.dion.ne.jp/~gang/dabunn/2014/hate-speech.html
もちろん、
だからといって直線的に「ヘイトスピーチを処罰せよ」と主張するつもりはありません。

しかし、少数派の権利保護という点で日本がトルコ並みになりたいのなら、
ヘイトスピーチは慎むべきだと思います。
トルコは親日国なのですから、そうした方がいいと思います。

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