昨日の日記の末尾に書きましたように、
本日、私の最初の指導教授である故S先生を偲ぶ会が行われます。
(12月1日追記 この偲ぶ会のあらましについては、
私がBiglobeで開設している第二ブログで、
これからご紹介する予定です。
http://67860051.at.webry.info/201412/article_1.html)

そこで、S先生の弟子たちの中では最も出来の悪い私としては誠に僭越ですが、
この機会にS先生のご略歴、ご業績、そして人となりについて、
私ができる限りでご紹介いたします。

S先生のご本名は、実のことを言うと以前ご紹介しました。
須々木主一(すすき・しゅいち)さんという方です。
したがって、以後は須々木先生とお呼びします。

なお、以下にご紹介する須々木先生の人となりは、
あくまでも私という偏った見方の持ち主に映ったものです。
したがって、須々木先生の真のお姿からは相当違うことを、
あらかじめ申し上げます。

須々木先生は、1932年(昭和7年)4月19日に、
秋田県横手市にお生まれになりました。
お父様のお名前を不覚にも思い出せないのですが、
もとは日本基督(キリスト)教団の牧師さんでした。
(12月2日追記)須々木先生のお父様のお名前が分かりました。
晃三(こうぞう)さんです。
http://www.aurora.dti.ne.jp/~cfchurch/tuushin08summer.htm
(須々木先生も昔通われていた日本基督教団千歳船橋協会のウェブサイトの
記事ですから、間違いありません。)
したがって、須々木先生もご自身のことを、
「天命としてのクリスチャン」または「日本教徒キリスト派」であると
認めておられていました。

(なお、「日本教徒」が何を意味するかを要領良く説明することは私にはできません。
「日本教」は『空気の研究』などで有名な評論家である
故・山本七平(やまもと・しちへい)さんの造語ですので、
日本教について理解するためには山本さんの著書をお読みになられた方が
適切だと思います。
実際、山本さんの著書の中にズバリ
『日本教の社会学』(講談社、1981年)というのがありますが、
実のことを言うとまだ私は読んでいません。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E4%B8%83%E5%B9%B3

須々木先生についてのご紹介に話を戻します。

須々木先生は戦後、東京に移られました。
そして1951年(昭和26年)3月に東京都立武蔵高等学校をご卒業されましたむ。
すぐに早稲田大学第一法学部にご入学され、
1955年(昭和30年)3月にご卒業されました。
(当時の早稲田大学には全日制を意味する一部と
夜学を意味する二部があったのです。
その後、第一法学部は法学部に改名され、
第二法学部は、第二政治経済学部や第二商学部とともに、
社会科学部に発展的に改組されました。
http://www.waseda.jp/top/about/work/history)

須々木先生は、学部卒業と同時に大学院法学研究科にご入学されました。
指導教授は、早稲田刑法学を代表する故・齊藤金作(さいとう・きんさく)博士です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BD%8A%E8%97%A4%E9%87%91%E4%BD%9C
そして1957年(昭和32年)3月に、法学研究科の修士課程を修了され、
翌4月に博士課程に編入されました。

須々木先生は、おそらく大学院に入られた頃から、刑事政策の研究を、
恩師である齊藤博士のご指示により開始されました。

齊藤博士についてのWikipediaでの解説をご覧になればお分かりの通り、
齊藤博士には須々木先生の他にも、
後に早稲田大学の総長を務められた西原春夫(にしはら・はるお)博士と、
早稲田大学法学部の教授を務められた内田一郎さんというお弟子さんがいます。

私が記憶している須々木先生のお話しによりますと、齊藤博士は、
西原博士に刑法を研究することを、
内田さんに刑事訴訟法を研究することを、
そして須々木先生に刑事政策を研究することを指示されたそうです。
ここまでは、それほど奇妙ではない話です。
しかし、次が奇妙なのです。
須々木先生が刑事政策について齊藤博士から受けたご指導は、
次のただ一言だったそうです。
「須々木くん。刑事政策には、犯罪原因論、犯罪現象論、
そして犯罪対策論がある。分かったか。」
信じられないでしょうが、本当にこれだけだったそうです。
(12月1日追記 しかし「偲ぶ会」で伺ったお話しによりますと、
齊藤博士からのご指導には、少なくとももう一点あります。
それは、私の記憶によると、次のようなものでした。
「須々木くん。きみはクリスチャンだよな。
ギリスト教は『愛の宗教』と呼ばれている。
刑事政策には「愛」が必要だ。
したがって、須々木くん、君が刑事政策をやりなさい。」)

仕方がないので、若き頃の須々木先生は、
プロベーション(probation)という英米法の犯罪者処遇制度の研究を手初めとして、
刑事政策の研究をほぼ独学で開始されたそうです。

話は再び須々木先生からそれますが、
プロベーションはしばしば「保護観察」と訳されますが、
この訳はミスリーディングだと言わなければなりません。
ここでプロベーションについて詳しくかつ分かりやすくご説明することはできませんが、
「プロベーションとは、アメリカ法の用語であり、
有罪の宣告を受けた者に直ちに刑罰の言渡しをせずに、
一定の地域から離れることを禁ずるなどの何らかの制約を課しつつ、
一定期間、公的機関(probation officer プロベーション・オフィサー)の
観察の下に置くこと」だからです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
そして、プロベーションに一番似ている我が国の制度は、
引用したWikipediaの記事にもあるように、
少年法第25条のいわゆる「試験観察」なのです。
「(家庭裁判所調査官の観察)
第二十五条  家庭裁判所は、第二十四条第一項の保護処分を決定するため
  必要があると認めるときは、決定をもつて、相当の期間、
  家庭裁判所調査官の観察に付することができる。
 2  家庭裁判所は、前項の観察とあわせて、次に掲げる措置をとることができる。
  一  遵守事項を定めてその履行を命ずること。
  二  条件を附けて保護者に引き渡すこと。
  三  適当な施設、団体又は個人に補導を委託すること。」
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO168.html#1000000000002000000003000000000000000000000000000000000000000000000000000000000

話を再び須々木先生に戻します。
須々木先生は、1958年(昭和33年)4月に早稲田大学比較法研究所助手に
嘱任されました。
1960年には「アダルト・プロベーションについて」という論文を、
早稲田法学会誌第十巻に公刊されたのですが、
これが須々木先生の業績として初めて公けにされたものです。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/6236/1/A05111951-00-010000117.pdf
そして1961年(昭和36年)4月には、早稲田大学法学部専任講師に
嘱任されました。

まだまだ後が続くのですが、長くなってきましたので、
一回この辺でこの日記を終わりとして、
続きは第二部でご紹介します。
しかし早くても今晩、遅ければ明日の夜になることを、
申し上げなければなりません。

(12月1日追記) しかし、本日、菅原文太さんが亡くなったことが報道されました。
http://www.yomiuri.co.jp/culture/20141201-OYT1T50063.html
菅原さんに関連して、須々木先生ともからめて書きたいことがあります。
したがって、須々木先生のご略歴、ご業績、
そして人となりについての第二部を書くのは、
早くも明日(12月2日)に日延べさせていただかざるを得ません。
この点につきまして、お詫び申し上げます。

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