見出しを見た瞬間「おおっ!!」とつぶやきました。
裁判員裁判の判決が21日、東京地裁であった。

強盗致傷事件ですから、当然裁判員事件です。
裁判員事件で、このような判決が出たのです。
杉山慎治裁判長は「共犯者の供述は信用できず、
男性を犯人と認定できない」として無罪(求刑懲役10年)を言い渡した。

判決は、事件に暴力団などの組織が関わっている可能性を指摘。
共犯の男が報復を恐れて事実と異なる供述をしていることが考えられるとした。
男は捜査段階でも無関係の別の人物を犯人だと話していたことから、
「供述の信用性を支える根拠がない」と結論づけた。

お見事だとすら思います。
これでは被告人を無罪と判断するほかありません。
よって、検察は控訴することをためらうかもしれません。
裁判員裁判で、無実の人が救済されそうです。
我が国には、まだ正義が残っているのでしょう。
このような慎重な事実認定が、
他の裁判員裁判でも行われることを切に希望します。
そして、杉山裁判長の訴訟指揮も、おそらく良かったのでしょうし、
二人の陪席判事たちも、裁判員の皆様を効果的にサポートしたのでしょう。
したがって、模範的な裁判員裁判が行われたらしいニュースに感想を書けて、
幸せな感じすらします。
そして「裁判員裁判制度も、刑事政策論的に捨てたものではないかもしれない」と
思い始めています。
1人でも無罪の人が処罰されたら、刑事政策的にもマイナスです。
少なくとも冤罪被害者と、その親しい人は、刑事司法に対する信頼を失いますし、
有罪の人を取り逃した損失も無視できないからです。
したがって、もし裁判員裁判で冤罪が減るなら、
裁判員裁判は刑事政策論的に妥当と言えると思います。
そして、この事件における東京地裁杉山コートのように慎重に審理すれば、
冤罪は減り、裁判員裁判は刑事政策的に妥当になるでしょう。

そして、裁判官たちには特有の文化があります。
司法試験に合格して司法修習を終えて裁判官に任官し、
裁判実務に携わっているのですから仕方ありません。
裁判員になる一般人は、当たり前ですが裁判官特有の文化を知りません。
したがって、裁判官特有の文化が冤罪を産み出しているのならば、
もっと正確に言いますと実際に産み出しているようにも思われるので、
裁判員制度は冤罪を減少させることに役立つでしょう。
そうなることを期待し始めています。


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